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★この日記をマイ日記猿人に登録する★

11月30日(木)#2

やっと3時間の待ち時間も終わり、私はエアカナダの成田行きに乗り込んだ。
機内はガラガラで、座席は左に2席、中央に4席、右に2席だったんだけど、私は中央の4席を独り占めしていた。
アームレストをあげて、くつを脱いで私は完全に横になる事ができた。ファーストクラス以上のスペースではないかな。
右の2席を見ると、カップルが所狭しと、文庫本を読んでいた。
私だけ4席も占領して申し訳ないなあと思いつつも、後ろを見たら、みんなそんな感じだったので私は安心した。

ところで、飛行機の中というのは、私は普段に比べて意外に小心者になる。
例えば、便が夜の便だった時とか、機内は「眠れ」と言わんばかりに暗くなるでしょ?
そんな時に私は何か、「作業」がしたかった時とかは電気をつけたいじゃないですか。
でもあれって、前後の人が毛布とかをかけて寝ようとしていたりすると、電気を付けたらまぶしくてうざがられるんじゃないか、
とか色々考えて小心者になってしまうんですよね。だってあれって、結構後ろの人が電気を付けたら、
こっちまでかなり明るくなったりするし・・・。後ろの人も本とか読んですでに電気を付けていると、
こっちも安心して電気付けられるんですけどね。

それと、座席のリクライニング。
あー座席を倒してゆっくり寝たいなあって思っても、席を倒したら嫌な顔されるかなあとか思ったら、
直立のままで寝てしまいますね(小心者)。そのくせ、前の人が、ガー!ってこれでもかと言わんばかりに、
席を倒してきたら、むかついて、私も倒してしまいますけど・・・(意味ナシ)
1回機内食を食べてる時に、ガー!と倒してこられた時にはかなりむ!としましたけどね。
だから私が倒したい時もかなり慎重になるんです。倒しても3cmとかじゃないですかね、小心者の私の場合。
後ろの人がテーブルを使って何か作業をしてないか、ちゃんと確認してから倒しますよ。
実は11月28日の日記は機内で書いてたんですけどね。
いきなり席を倒して来た前の女にはむかつきましたね。モニターがぶっ壊れるかと思った(怒)

今回はアメリカ国内線と違って、乗ってる客も日本人ばっかりなので、隣りに人は座ってないにしろ、
パソコンを広げるには少し抵抗があったんだけど、なんせ10時間1人きりのフライトってのは暇だから、
「しょうがなしに」広げる事にした。恐る恐る電気を付けたら、前の男に「ジロ!」と見られ、一瞬すくんだけどね。

日記を書き始めたのはいいんだけど、
あーもしこれ、同じ列の人や斜め後ろに私の日記を読んでくれてる人が乗ってて、(いねーよ)
肩をポンポンと叩かれ、「もしかして、カエさんですか?」なんて聞かれたら、どうしよーとか思ってました(バカ)。
もしもそう聞かれたら、「いえ、違いますけど・・・」って、とりあえず、否定しておくしかないな、とか(バカ)。
だからできるだけ窓を小さくし、ページ上の「kae's diary」というのを隠すように細々と書いてました。
ま、恥ずかしかったから、というのが一番の理由なのだが。
でもどうせノートとかの液晶のモニターはちょっと角度が違うと全然見えないからどうせ誰にも見えてなかったんだろうけど。

自意識過剰のまま、私を乗せたエアカナダ成田行き3便は着実に太平洋を横断し日本へと近づいていた。

☆空メールや一言メール送ってね☆


 

11月30日(木)#1

ボストンの街がだんだん小さくなって行った。
上空から見るボストンには思い出が多すぎて、ティファニーの事を想うと私はすぐにでも涙が出そうになったので、
なるべく考えないようにしていた。考えないようにするために、
私は行きに成田空港で買って来た文庫本でも読む事にしたんだけど、
全然集中できなくて、読む気がしないので、タダひたすら、ボーっとしていた。

フェニックス(アリゾナ州)で乗り継ぎ、ポートランドに着いたのは夜中の12時半。
ボストンを出発して実に9時間が経っていた。ボストン時間の夜中の3時半である。
それからホテルに電話し、迎えに来てもらって、ホテルに着いたのは1時半くらいだったのに、
結局私は興奮していたのか何なのか、3時まで寝れなかった。
前日だって4,5時間しか寝てないはずなのに。
6時半に予定通りモーニングコールがあり、私はシャワーを浴びた。
8時にホテルを出発し、ポートランド(オレゴン)の空港に向かった。

この日は小雨が降っていたので、バンクーバーまでは小型飛行機だから、
ちゃんと飛ぶのかと心配したが、全然時刻どおりに離陸してくれたので良かった。
バンクーバーへのフライトの途中、雲の上から突き出た山が見えた。
多分ワシントン州にある、マウント・レニアだと思う。
雲から突き出た部分にはすでに雪が積もっていてキレイだった。
11月17日にも同じルートですでに日本に帰国しているエイジもこれを見たのかなあ、と思った。
♪あーたまーを雲の、上に出しー、と私は富士山の歌を心の中で歌いながら、ボーっと眺めていた。

そうこうしているうちに、たった1時間ほどのフライトで、日本行きへの乗り換え都市であるカナダのバンクーバーに着く。
エイジから聞いた通り、次のゲートへはかなり歩かされた。
次のゲートへ着くと、どうやらそのあたりは大体同じ時間に出発するアジア便への出発の専門ゲートになっているらしく、
周り中アジア人だらけだった。

エアカナダの関空、名古屋、成田行きは勿論の事、同じエアカナダの上海、北京行きや、
キャセイパシフィックの香港行き、シンガポールエアラインのソウル経由シンガポール行き、台北行きなど、
ありとあらゆるアジア行きの便が大体12時代1時代に出発なので、ゲートはそりゃあもうアジア人でごったがえしていた。

 

11月29日(水)

私はこの日ボストンを出発する。とっても短く感じたボストン滞在だけど。
今日はティファニーのプリスクールの日なのだが、元旦那に頼みこんで、ティファニーが学校に行く時に、
私も一緒に車に乗せて行って貰って、ティファニーが学校に行くのを見送ってから帰る事にした。

学校へ向かう車の中ではとりたてて平静を装ったし、ティファニーもいつもと変わらなかった。
元旦那の車の中で、私はしばらくできなくなるであろう、ドラえもんとアンパンマンの人形劇をしてティーの相手をしていた。
車で15分とかからない学校に到着するのはあまりにもすぐだった。

私は、「またすぐに会おうね」と言った。
ティファニーは、「マミーは仕事に行くの?」と聞いた。
この滞在中で分かったのだが、ティファニーは誰かがいなくなる、どこかに行く事を=「仕事に行く」と思っているらしい。
だから、私は、「そうだよ。でもまたすぐに会いに来るから。」と言った。

ティファニーは元旦那と車から降り、学校の中に入って行く。私は車の中から見守った。
ティファニーは元旦那を手をつなぎつつも、後ろを3回振り返りながら、
「マミー!バイバーイ!」と何度も私に向かって手を振った。
私は1人残された車の中で、笑顔で、「バイバーイ!」と手を振っていたが、必死で涙を押さえていた。
「最後まで笑顔で・・・最後まで笑顔で・・・」って心の中で唱えながら。

しばらくして、ティファニーを先生に預けて戻ってきた元旦那が私の滞在先まで送ってくれ、
私はシャワーを浴び、タクシーを呼び、空港に向かう事にした。

ボストンの空港まで向かう時のタクシーの運転手はレバノン人らしかった。
「レバノンってどこにあるか知ってる?」と聞かれたので、私は焦りながら、「うーん、中東のどっか(汗)」と答えた。
彼はアメリカには17年いるらしいが、彼の英語はかなり訛っていた。
彼は奥さん(レバノン人)と子供4人とアメリカに住んでいたが、2年前にレバノンに一時帰国した際に、
家を購入し、今現在は奥さんと子供達はレバノンに戻ってその家に住んでいるのだ、と言う。
でも、家を購入したし、アメリカの方がお金が稼げるから自分はまだアメリカにいるのだけど、
近い将来レバノンに帰りたいんだ、と言ってた。

私はアメリカに長くいるけど、これから長くいても決してアメリカ人にはなれないと思うし、
でも、かといって、日本を離れて長くなるから、日本に帰ってもなんだか、アウトサイダーみたいな感じがして、
アメリカ人でも日本人でもない、どちらでもないような気がしてなんか中途半端なんだと彼に言った。
そしたら、彼は「その気持ちすごくよく分かる。自分も全く同じように感じていた」と彼は言ってくれた。
レバノンに帰っても17年も離れているから、「なんか違う」って思ってしまうし、
かといって、アメリカ市民権を取った今でもアメリカ人にはなりきれない、と言ってた。
(市民権を取った訳だから、彼は国籍的にはアメリカ人なのだが)

レバノンの彼の家にはアフリカ人の住み込みのお手伝いさんもいるのだと言う。
大体1ヶ月アメリカドル150ドルくらいで、メイドを雇えるらしい。
そしてメイドの彼女は貰ったお金を更に、母国の家族に仕送りをしているらしい。
運転手がアメリカで出稼ぎしてそのお金を、母国レバノンに仕送りし、
そしてそのお金を更に、アフリカ出身のメイドの人が更に母国に仕送りしている。
なんかお金がめぐりめぐって・・・というのはこういう事なんだなあって私は思ったりしていた。
レバノンでは、アフリカやフィリピンから出稼ぎにやって来た外国人にとって、
メイドというのは、かなりポピュラーな仕事らしい。日本だったら、きっとバーとかじゃないかなあ、と私は彼に言った。
そんな話をしているうちにすぐにボストンローガン空港に着いた。料金とチップを払い、私は彼と別れた。

成田→オレゴンの国際便往復チケットと、オレゴン→ボストンのアメリカ国内便往復チケットを私は別買いしたので、
今日はこれから、ボストン→フェニックス(アリゾナ州)→ポートランド(オレゴン州)とまず飛ばないといけない。
オレゴン到着予定時間は、オレゴン時間の夜中の12時半。ボストン時間の夜中の3時半だ。
そして、オレゴンで1泊して翌日の朝、オレゴン→バンクーバー(カナダ)→成田となるのだ。長旅だ。
しかも話し相手のない1人での長旅はこれまたかなりキツイだろうな。

とりあえず、私はオレゴンへ行くための、フライト乗り継ぎ都市であるフェニックス(アリゾナ州)へ向けて出発した。
飛行機がボストンの地を離陸したのは、定刻通り夕方の6時だった。

 

11月28日(火)

実は昨日の日記は↓に書いたのよりも全然暴言を吐いた日記を書いていたのだけど、
あまりにも、暴言で見てる人が気分が悪くなるのかなと思って消しました。
いや消してはなくて、他の場所に保存しているだけなのだけど。
気が向いたら少し修正してまたアップします。
昨日の日記だけでは何が起こったのかとか分からないと思うから。

元旦那が私とティファニーを2人っきりで会えなくしようとしている事は、本当にティファニーの事が心配とかではなくて、
タダ単に私への嫌がらせとしか思えない。子供を武器にして、弱みをついてきて、私が困り悲しむのを喜んでいるのだ。

私は頭を下げて再び今日会わせてもらった。今日はボストン最終日だから。
私がお腹を痛めて産んだ子なのに、なんで元旦那にヘコヘコしないといけないのだろうと思うと本当に腹が立つ。
でも、実際ティファニーといるのは元旦那だから、下手に出て更に面会の条件を悪化させるような事になるのは避けたい。

「ティファニーもだいぶ分かるんだから、何にも言わないで出て行かないで、明日帰るという事を伝えておけ」と、
元旦那が言うので、私は仕方なく、寝る前にティファニーに話す事にした。
私と同じ状況のメルトモが数日前に息子に会った時に使った言い方で、
悲しくないおもしろい感じのいい言い方があったから、私もそれを参考にして話したんだけど、
要は、「マミーは明日いなくなる」という事実を伝えるという事。
ティファニーは泣いてしまった。

でも今回私は泣かなかった。
私が泣いたらいけないと思ったから。
最後まで泣かないで、面白い事を言ってティファニーを励ました。
「ゆびきり」をした。ママはまたすぐに会いに来るからね、って。

♪ゆーびきーりげんまんウソついたら針千本のーます、ってやつ。日本語で。
ゆびきりをする頃にはティファニーの笑顔は戻っていた。今度は私が泣きたかったが必死でこらえ、最後まで笑顔でいた。

ティファニーは明日はプリスクールがある。早起きしなくちゃいけない。
まだまだ遊んで、まだまだお話していたいんだけど、早く寝かせなきゃティファニーは明日辛いだろう。
早く寝かせなきゃ。

耳の上からおでこにかけての髪の毛の生え際から髪の毛をなでられるのが、ティファニーは生まれてからずっと好きだった。
私は早く寝ようね、って言いながら、ゆっくりゆっくり繰り返し繰り返し髪の毛を撫でていた。
そろそろ寝たかなあ、と思って手を止めると、ティファニーがふと目を開けて「やめないで」って言う。
うん、分かってたよ。赤ちゃんの頃からこれが気持ちいいみたいで大好きだったもんね。勿論覚えてるよ・・・。

ティファニーが眠った後、私はイエローページから、ボストン中のFamily Law専門の弁護士の名前と連絡先を、
必死に書き写していた。私はもうすぐ日本に帰る。弁護士に相談している時間はない。
それでもなんとか日本から電話やメールで話だけでも聞いてもらえないだろうか、と思って。
必死で電話帳をめくり、薄暗い部屋の中で弁護士の連絡先を書き写していた。

やっと終わってそろそろ寝ようと思って時計を見ると、夜中の2時を過ぎていた。

日本に帰国したらお金を貯めて早くまたボストンに来れるようにしよう。絶対にしよう。
だって、指きりしたから、約束破ると大変な事になるもんね・・・。ね?ティファニー。

 

11月27日(月)

夜なのにベッドの隣りにはティファニーがいない。
私はまだボストンにいるというのに、どうして1人で寝ているのだろう。
それもこれも、元旦那が連れて行ったからだ。
私は辛さが憎しみに変わるのをひしひしと感じている。

 

11月26日(日)

やられた。
歯が痛い。

8月から9月にかけて、歯医者に通いまくり全て治療済ませて日本に帰国したはずなのに、激痛が走る。
どうも、ボストンは毎日氷点下になる日が多く、寒い外から暖かい室内に入って来てしばらく経つと、
激痛が走るのだ。こんなに歯が痛くなったのは、初めて。これはボストンに来てから始まった。

しかも今朝起きると、腫れているのである。
薬を飲んだら痛みは引くのだけど、腫れはひかない。
今まで歯痛で歯が腫れたのなんて初めて。やばい。かなりやばい。

日本に帰国するまでもつかな。
私は更に悪化した時に備え、緊急に見てくれそうな所をイエローページで探した。
もうアメリカで歯の保険はなく、めちゃ高になる事は間違いないんだけど、そんな事言ってられない。
エイジにも電話して、うちの近所の歯医者を私が帰国する翌日以降に予約を取ってくれるように頼んだ。

そうすると、なんとエイジも今日せんべいを食べていたら、歯がかけたと言うではないか!(それか詰め物が取れた)
おお、なんたる偶然。さすが気が合う。さすがメオト。なんでも彼も来週歯医者に行くと言っていた。

しかしなあ。9月に治療したんだよ?このやぶ医者め!
削った後、詰める時に隙間かなんかが開いてて、菌が入って炎症を起こしているとしか考えられない。
だって、治療した歯全てが、痛くなりつつあるのだ(泣)
とにかく帰国速攻で、私の日本での歯医者行きが決定したのだ。

籍も入れて、健康保険も手にした事だし。

(余談)
日本だと少々の事では麻酔してくれない記憶があるんだけど、大丈夫だろうか・・・。

 

11月25日(土)

アメリカに、Rugrats という、子供達が主人公のテレビマンガがあるんだけど、
キャラクターは日本のテレビマンガのようなかわいさはないものの、今アメリカでは結構な人気らしい。
そのマンガが映画化されて今上映中らしいので、早速私はティファニーを連れて映画に行く事にした。

土曜日の夜という事で、映画のチケットを先に買ってからじゃないと、売り切れるかなと思い、
先にチケットだけ購入して、モールに行ってプラプラ買い物し、夜ご飯を食べて時間を潰した。

上映時間が近づくと、子供連ればっかりが列をなしている。
ドアが開くと同時にものすごい人がどーっと流れて席をゲットしようとしていたので、
私もティーの手をつないで、席を確保した。

映画が始まってみると、どうやら、この子供達のうちの1人の父子家庭の子が主人公のようだった。
その子は、幼い頃に母親を亡くし、今はお父さんと2人暮らし。いつも母親がくれた思い出のテディベアを持っていた。
そして、いつも、自分にだけ母親がいない事をいつも寂しく思い、母親が欲しいと思っていた。
ひょっとしたきっかけで、この子供達&親達はパリに行く事になり、
ついでにその子の母親もパリで見つけてこよう!というのだ。

私は嫌な予感がしてきた。
その母親のいない子が、パリへの飛行機の中で歌うシーンがあったんんだけど、

♪怖い夢をみた時に優しく抱きしめてくれるお母さん、寝る前に本を読んでくれるお母さん、
そんなお母さんがボクも欲しいよ〜♪(まあ、大体日本語に訳すとこんな感じだった)

なんか私自身も辛くなるような映画の内容になるかな、と想像してしまって、ふと横のティファニーを見ると、
内容はきっと全て分かっていないにしても、ニコニコしながら、ポップコーンを食べていたので、少しほっとする。

結局この子のお父さんは遊園地の経営者になりたいだけのために結婚しようとしてきた、
意地悪女と結婚させられそうになるんだけど、
Rugrats の子供達の活躍でそれを阻止するというありきたりの話。
そして、結局いつも優しかったその意地悪女の部下と結婚した。
しかもその女の人は日本人・・・。キミという女の子がいて、お互い子持ち同士の再婚という設定だった。
この遊園地が、日本をテーマにした物だったから、やたらと日本の事もでてきていた。

いやいいんだけどさ、別に。
でもよりによって、ティファニーと大きくなってからは初めて見に行った映画が、
父子家庭の子供が、お母さんが欲しいと行って、お母さんを探しに行く内容とは・・・ね。
ちょっとがっかりだったけど、(別のディズニーのクリスマス映画にしたら良かったとちょっと思ったりもしたけど)、
ティファニーが大好きなマンガの映画版だし、本人はかなり久しぶりの映画を楽しんだみたいだから、
彼女が楽しい時を過ごせたら、それでいっかな、と思う事にしてみた。

 

11月23日(木)

エイジが日本に帰国したという報告の電話を実家にかけた時に、私は一緒に帰って来なくてボストンに行ったという事を、
親に話したんだって。そしたら、=元旦那に会うって事だから、「よく許すわね」って感じの事を言ったらしい。
私はどうしてそこまで親に話さないといけないのかな、と思ったんだけど、エイジは「話の流れ」だったと言う。
「話の流れで話してしまった。今度からは気をつけるよ。ごめん」と言っていたが。

「カエさんも一緒?」と聞かれ、「うん」とは言えずに、「いや、ボストンに行った」と言ったらしい。
エイジの両親には今回アメリカに来る事を、まさか、「アパートを引き払いに」とは言えなかったので、
新婚旅行」という名目で来た事にしていた。だから、新婚旅行なのに、「妻」が一緒に帰国せずに、
子供と会うためとは言えども、元旦那に会うなんて・・・って思ったのかもしれない。

実は12月に私の両親とエイジの両親は1度も会った事がないので、「顔合わせ」の食事会を某ホテルで、
行う事にしていたんだけど、その話を聞いて私は彼の両親に会うのが嫌になった。
食事会も嫌になった。うちの親には正直にボストンに行く事を前もって言っていたんだけど、
食事会の場で、「カエさんはボストンに行ってたそうで・・・」なんか持ち出されたら、嫌だし、
うちの親だって関西から来たのに、なんか恥かきに来た事になるというか・・・。

その私の考えをエイジに言うと、
「そんな食事会の席でそんな事直接カエに口に出す事なんてないと思うけど、
カエがどうしてもやめたいって言うんなら、自分の両親にはちゃんと本当の理由を説明してね。
籍を入れたら親同士を会わせるのが面倒くさくなって、俺がしたくなくなったって思われたら嫌だし。
顔合わせの食事会なんて、形式上のみの事だとは分かっているけど、結婚式もしないし、
俺としてはやりたかったから・・・」と言われた。

結局、もうホテルの料亭の予約も取っていた事だし、予定通りする事で落ち着いたんだけど、
私的には結構楽しみにしていたのに、なんか一気に憂鬱に感じてしまい始めた事は否定できない。

 

11月22日(水)

言ってはいけない事を言ってしまった。
ティファニーを傷つけてしまった。

私はいつもティファニーに会いにボストンに来て帰る時は何も言わずにいきなり姿を消していた。
言っても分からないと思っていたし、その方がいいと思っていたから事前に何も言う事なく帰って来ていた。
でも今回はティファニーもだいぶいろんな事を理解するようになって、やっぱりいきなり姿を消すのではなくて、
ママはおうちに帰るから、という事をちゃんと事前に話してから帰ろうと思ったので、
2人で遊んでいたんだけど、ふと寂しくなって、「ママは来週おうちに帰るからもうすぐバイバイなんだよ・・・」と言った。

するとそれまで私の大きな手袋を手に着けて、ふざけて遊んでいたティファニーが、いきなり手袋を脱いで、
手を顔に当て、泣き出してしまった・・・。その姿を見て、私も泣けてしまった。
ティファニーは割とすぐに泣き止んだのに、私の方が涙が止まらない始末だった。

そして私は泣いたティファニーを見て思わず、「マミーと一緒に帰る?」と聞いてしまった。
するとティファニーはしばらく考えた様子の後、首を振って、「ダディー」と答えた。
私はあまりのショックで、とっさに同じ質問をもう1度し、「それともダディーとここにいる?」と聞いた。
すると今度は、「マミーと行く」とティファニーは答えた。

YESとNOの意味がまだはっきり分かってないのか、それとも質問の意味がはっきり分かってなかったのか、
それとも、そんな酷な質問をするからなのか・・・。

ごめんなさい。ごめんなさい。
とにかく自己嫌悪の日。

 

11月20日(月)

長期の休み明けの今日の月曜日、エイジが会社に遅刻した。
大体いつも9時には会社に行ってるのに、起きたらすでに朝の10時で会社に着いたのは11時前だったんだって。
電話で起こそうかな、とも思っていたけどティファニーと遊んでいたら、ついつい忘れていた。
エイジが目覚ましを持って帰ったから、大丈夫だろうって思ってたのもあったし・・・。

エイジは、「やっぱり起こしてくれる人が必要なんだねえ」なんてのん気にメールで報告してきていたのだが、
私はその事を深い意味はなく、母親にメールで報告すると、彼女は、

「ちゃんと起こしてあげなきゃダメじゃない。エイジさんが結婚したって事は周りもみんな知ってるんだし。
奥さんがいるのに、休み明けから遅刻なんてって思われるわよ。カエはエイジさんの「」になったんだからね。
家を空けるのも、今度からはもう少し短くするようにしたら?」という返事を送って来た。

まともな意見なのかもしれない・・・きっと。うん、きっとそれがまともな意見なのかもしれない。
」が、家を2週間も空けるなんて尋常ではないのかもしれない。家出じゃあるまいし。
でも、1つ言わせて貰えば、私がエイジの「」になるずっと前から、私はティファニーの「」だった・・・。
どっちが大切かなんて、考えないし、どっちも私にとってはかけがえのない大切な人なんだけど、
それでも、同じ子を持つ「」として、母親には、私が新婚早々2週間家を空けてティファニーに会いに来た気持ちと、
普段「」に会えない寂しいティファニーの気持ちを理解してあげていて欲しかったから、そのメールは私にはショックだった。

半年に1回、2週間ずつ、ボストンを訪れてティファニーと一緒に過ごしたところで、
所詮、1年365日のうち、330日は私はエイジと生活している事になるじゃないか。
逆に言えば、1年の330日間、ティファニーは母親がいない寂しい生活をしている。
それをこれ以上一緒に過ごす時間を短くしろと言うの?
再婚したんだし、置いてきた元旦那との子供の事は早く忘れなさい、とでも言うの?
どうして私の周りの人は理解してくれないの?

何回も言うけど、私はティファニーの存在を「過去の事」として見ていないし、見るつもりもない。
彼女は今だって元気に生きているんだし、母親は私1人だって思ってる。
2年後にアメリカに戻ってきたら、一緒に生活したいって思ってる。

私の母はきっと私がエイジと再婚して今度こそ幸せになるために、
「あんまり家を空けるのは・・・」って親心から出たアドバイスなのかもしれない。
それでもね、私はやっぱり27歳の大人のエイジを2週間1人きりで生活させるよりも、
たった4歳のティファニーを330日母親ナシで生活させる事の方が気になるのです。
これ以上一緒に過ごす時間を少なくする事は考えられないのです。

子供を置いてきて、再婚した私にはそんなふうに思う権利もないですか?

 

11月18日(土)

予定より遅く出発した私の便は、空中で急いでくれたらしく、私の乗り継ぎの便になんとか間に合う程度に、
フェニックスの空港に到着した。そして私はボストン行きの便に乗るべく、次のゲートへと走り抜けた。
フェニックスからボストンまでは直行だけど、5時間くらいかかる。本当にアメリカは広い国だと知らされる。

ボストン行きの便は、アメリカ東部時間の朝の6時過ぎにボストンの空港に着いた。
ボストンの空港は海のすぐ近くにあるので、着陸直前まで海が見えていて、
「嗚呼、海に突っ込んでしまうううううう!」と思うと同時に滑走路が見えてきて着陸というパターンなのだ。
今回も例に漏れず、「嗚呼!水に水にいいいい!」と思っていたら、同時に滑走路が見えてセーフだった。

私達の便のスーツケースが出てくるのが遅れていたみたいなので、すぐ横に公衆電話を発見して、
ちょうどエイジが家に着いている頃じゃないかなと思って電話したら、ちょうど15分くらい前に着いたと言ってた。
彼の乗った飛行機も成田上空まで来て、成田の滑走路が混んでいて、エアトラフィックだったらしく、
上空で時間を潰すはめになり、何度もぐるぐる旋回していた、と言ってた。
そして、混んでいただけあって、入国審査の列も異常に長く、時間がかかったと言ってた。

私はポートランドの空港での魔の10時間の話をし、
一緒にバンクーバー行きの飛行機を見送っていたおばさんの話もした。
エイジもバンクーバーから成田行きの飛行機に乗りつつも、時計を見ては、
私はまだポートランドで5時間あるなあ、とかまだ3時間あるなあ、かわいそうにって思ってたらしい。
だって、私がボストンに着くより先にエイジは日本に着いてしまったんだから。

スーツケースが出てくるらしく、ベルトコンベアーが回り始めたので、私は1度電話を切って、またエイジにかけた。
よく考えたら、距離的にはこれまでで一番離れてるんだね。
過去に私がボストンに来ていて、エイジと離れていた時は、エイジはオレゴンにいたから、まだ同じアメリカ同士だったけど、
今回はアメリカと日本。しかも、西海岸じゃなくて、東海岸と日本だから距離的には更に離れている事になる。
きっと、地球儀で見たら裏側同士に位置するんじゃないかな。

私は重たいスーツケースを抱え、バスに乗る事にした。
が、ボストンの地下鉄の空港の駅は今工事中らしくて、臨時のシャトルバスが走っているらしかったんだけど、
そのバスが2回も乗り継ぎをさせられ、しかも私は重いスーツケースを持って、朝のラッシュにまぎれる事になった・・・。

元旦那に電話をかけ、約束の場所までティファニーを連れて来て貰う事にした。
散々待たされて来た元旦那の車の後部座席にはティファニーが乗ってて、
私を見るなり車の中から、「マミー!!!」と言って暴れている様子が分かったので、
私はすぐに車のドアを開け、「ティファニー!!!」と言って、ティファニーを外に出してハグをした。

いつもこの瞬間が好き。
電車に乗ってる間はドキドキしていても、このティファニーの笑顔を見ると私は救われる。
今から帰る時の事を考えると、胸が張り裂けそうに痛いけど、
こればっかりは、離れて生活している間は、帰りが辛いのはどうしようもない事だ。

その辛さをティファニーに会えた喜びで、かき消すようにするしかないのだ。

 

11月17日(金)

今日はエイジが日本に帰る日。
朝9時40分の飛行機だ。
私のボストン行きの飛行機は夜なんだけど、空っぽになって、何もないアパートで1日夜までぼーっと過ごすより、
まだ人やお店がたくさんある空港で時間を潰した方がいいんじゃないか?というエイジの提案で、
私も朝早くから一緒に空港に行く事にした。

タクシーを朝の7時半に呼んで空港に着くと案の定まだ8時くらいでまだまだ時間はある。
エイジの荷物をチェックインした後に、私達はポートランドの空港で朝ご飯を食べた。
飛行機が見える、窓の大きい眺めのいい席に座った。そこには眩しいほどの朝の太陽が照らしつけていた。
私の飛行機の出発時間は、なんと夜の7時半だ。それまで10時間もある。
それでも1人きりであのがらんとして家具1つ残されていないアパートにいるのよりはマシかな?と思った。
エイジを見送った後、私は10時間もこの空港で1人なのだ。

結構時間があるように思えて、実はあっという間に9時を過ぎてそろそろエイジの出発の時間になった。
成田までのルートは、来た時と同じく、カナダのバンクーバー経由。
私はこの後ボストンに行くので、エイジともしばしのお別れ。
昨日の引越しの疲れが取れないまま、2人とも旅路に着く。

いよいよ、エイジのフライトのアナウンスが流れ、出発の時が来た。
「じゃあ、またね」と軽く別れたけど、9月の時と違って、勿論寂しさはあったけど、
「これからもずっと一緒」という気持ちがあったから、前回の様に、涙が出そうとかそういうのはなかった。

さて、エイジはゲートを越えて行ってしまったが、これから果てしなく長い時間をどうして過ごそうかな、
なんて考えつつ、私はぼーっとしていると、同じバンクーバー行きの飛行機をずっと見ているおばさんがいた。
その先を見てみると、エイジが乗ってるはずの飛行機に乗り込もうとしている子供たちが手を振っているではないか。
しまった!ここからなら、お互いが見えたのか。エイジに言っておくんだったな、手を振るように。

おばさんと一緒に飛行機を見ていると、おばさんが、「あの飛行機に誰かが乗っているの?」と声をかけてきた。
だから、「Yes.My Friendが乗っているの」と答えつつも、(しまった、すでにMyハズバンドだった)と思った。
どうやら、おばさんの方は9歳と7歳の孫が乗っているらしくて、これが初めてのフライトらしい。
「Myフレンド」が乗っていると言ってしまった手前、今更、「実はMyハズバンドが乗ってて・・・」って言うのは、
おかしいと思ったので、フレンドで通す事にした。

「Myフレンドはあの飛行機でバンクーバーまで行ってそれから乗り換えて、JAPANに行くんですよ」と私は言った。
すると、おばさんは遠い目で孫達の乗る飛行機を見つめながら、「ワーオ」と言ったきりのレスだった。
1分くらい経って、おばさんは私に、「日本までどのくらい(時間)かかるの?」と聞いてきたりしてた。

いよいよプロペラが回り始めて出発になった。
滑走路はこっちだというのに、エイジ&おばさんの孫達を乗せた飛行機は果てしなく反対方向に、動いて行っていた。
ただでさえもちっちゃい飛行機なのに、そんなに遠くに行かれたもんだから、私もおばさんも見落としてしまった。
「あの、ちっちゃい点がそうだよね?」なんて私が言うと、「私はもう見失った」とおばさん。
「それにしてもどこまで行く気なんでしょうねえ。」と私が言うと、
「もしかして、あのまま飛ばないでバンクーバーまで走って行くんじゃないの?」とおばさんが言ったのでおかしかった。

と、笑っていると、ブルンブルンと言う音と共に、エイジ&おばさんの孫達を乗せた飛行機がものすごい音と共に戻ってきて、
私達の目の前で、離陸した。

あーあ。行っちゃったね。
おばさんに別れを告げて、私はとりあえずこのでっかいスーツケースを預けるべく、荷物預かり所に向かった。
(スーツケースがでかすぎて、普通のロッカーには入りきらなかったのだ)

エイジの飛行機が離陸したのは10時と予定より20分程度遅れたとは言え、私の飛行機は7時半。
あと、9時間以上も残っている。私はとりあえず、見晴らしのいい席を陣取り、読書にふけった。
途中、デルタの日本行きの直行が2便出たらしくて、私の周りには日本人でいっぱいになった時間もあった。
プラス、どうやら日本から来る観光客のガイド役をしていると思われる、日本人の人達が集まって来て、
デルタの日本行きが飛んだら、それぞれの会社に報告の電話を入れたり、雑談していたので、
私は耳をダンボにして聞いて、「ふんふん」と思ったりしていた。

それにしても、長い。
果てしなく長いではないか。
9時間もあったらら、成田から西海岸に着くじゃないか(怒)
私はうとうとしたり、日本の母上にテレフォンコールをしたりしながら時間を潰した。

時間はやっと5時過ぎになり、少しお腹が空いてきたので、私は朝エイジと朝ご飯を食べた席に座った。
朝はあんなに朝日が眩しかったのに、夕焼けで今度は眩しい(って当たり前か)その場所で私はご飯を食べた。
そして一時荷物預かり所から、スーツケースを受け取り(1日中預けてたったの3ドル!)、チェックインした。

私の飛行機は安さを求めたため、ポートランド(オレゴン)からボストンに行くのに、
アリゾナ州のフェニックスで飛行機を乗り換えるという、ものすごいルートだ。
フェニックスでは乗り換え時間がただでさえも、36分しかなかったのに、私の飛行機は45分ほど遅れた。

イライラしつつも、長い長い1日が終わり、午後8時10分に私の飛行機はやっとの事で、オレゴンを出発した。

 

11月16日(木)

いよいよ、今日は引越しの日。
引越しというか、私がここで1月から一人暮らしをしようと思って借りていたアパートを引き払いエイジと日本で暮らすため、
そして、2年後にアメリカに戻って来るため、この荷物を倉庫に移す日。
私達は9月同様に、自分達で引越しトラックを借りて、倉庫に移す事にした。

すでに、レンタカーを返していたため、引越しトラック屋までバスを乗り継いで行った。
家具は少なめというものの、クイーンサイズのベッドを買っていたので、それをトラックまで詰め込むのは大作業だった。
私のアパートは1階と言うものの、マットレスはやわらかくて、端の所が丸くなっていて、どう持っても滑るのだ。
やっとの思いで、ドアの所まで運んで来たものの、トラックの所まで運ぶのは不可能な事に思えた。
エイジは、「切り込みでも入れて、持つ所作りたいくらいだな」と言い、
私も、「もう捨てる・・・?」と弱音を吐きかけていた時に、私がいい案を思いついた。

マットレスを立てて、側面を転がしながら進むのだ。
側面は案の定汚れたけど、ごろごろと転がして行くのは持ち運ぶ事に比べて力もいらないし、楽勝だった。
ただ、大きなマットレスなので、バランスを保つのが難しくて、車が来ないうちに・・・と焦ってやったので、
なんか自分達の絵を想像しながら転がすのが、とてもおかしくて、笑いがとまらなかったが・・・。
たくさんの思い出を思い出すように、それぞれ運び出した。

私達は倉庫に移動し、荷物を詰め始めた。
最初は不可能に思えたくらい想像よりも小さな倉庫で、もしかしたらもう1ランク大きい部屋じゃないと、
入らないかなあ、と思ったけど、詰めてみたら、完璧だった。
やはり、日本人は狭いスペースを有効に利用するのがうまいんだと思う。
これがアメリカ人だったら、詰めきれてないと思う。
イスなんて、マットレスの上にでも投げておけばいいと思っていたのに、贅沢に床の上に置く事ができたんだから(笑)
本当にキレイに入って、記念写真でも撮影したいくらいだった。デジカメを持って来なかった事を後悔した。

とうとうアパートも引き払ってしまった。
2年間アメリカにいたいと思っても、もう住む所すらないのだ。
私がエイジと一緒に2年間日本にいる事は決定したのだ。
少し寂しいけど、まあ、彼と一緒だから大丈夫だと思う。
ティファニーとも地球の裏側ほどに、離れてしまうけど、2年後にはアメリカに戻って来ると、
エイジも約束してくれているのだから。