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留学 @ − 携帯電話

 

Jan 10, 2000 

ケータイ。あの、今や中坊(小学生ぐらい?)からお年寄りに至るまで、持ってなけりゃダメとレッテルを貼られんばかりの小物。数年前までは持ってるだけでステータスだったのに、今や個人的には「あんなもん持たせてオレを束縛すんな」って言ってみたくなるような小物。それが携帯電話。

アメリカ人も日本人ほど誰もが・・・って言えるほど数多くではないにせよケータイを使ってる。って言うか、アメリカの方が情報通信分野では先端を行ってるはずなのに、アメリカのケータイは全体的に大きい。一時代前、私たちが子供の頃に公園とかで遊ぶのに使った、あのトランシーバーを彷彿とさせるぐらいの大きさだ。さらに、日本みたいに「着メロ」なるものは無い。そんな発想自体が存在しないようだ。昨年の年末に日本に帰国してから、阪急電鉄の西宮北口駅の構内で最新の曲の「着メロ」をケータイの本体に書き込む機械を初めて目にした時には心底驚いた。昔から言われる事だが、日本人は本当に「オリジナル」であるアメリカのモノを改良して「メカ」にしてしまうのが得意なようだ。日本人ならではの細かな発想と改良は、それはそれで面白い。

でも、日本に帰ってきてから「カルチャーショック」を受けた。帰国後、名古屋駅から在来線の通勤電車を使った時のこと。時は夕方。塾や学校帰りとおぼしき学生や帰宅途中のサラリーマン・・・いろんな人が乗り込んでくる。電車が発車すると、数多くの人が同時にすることがある。ケータイだ。電車が動き出すと同時に、みんな何者かに取り憑かれたかの如くケータイを操作し出す。老若男女問わず・・・とまでは言い過ぎだが、若い人達を見てると大概がケータイの虜になる。

これは面白い。アメリカにいてケータイの無い生活に慣れてしまうと、この光景にカルチャーショックを感じる。確かにあると便利なケータイ。就職活動をしようと思うと、企業のエントリーシートや資料請求ハガキなんかは、電子メールアドレスとケータイの無いようなヤツは流行にも乗り遅れてるようなヤツだから最初から来るな・・・と言わんばかり。今や一国の首相すら「ブッチホン」に夢中のケータイ。すごいこと成り上がったもんだ、ケータイも。

無ければ無いで過ごせるケータイ。アメリカで友達と人ごみの中で離れ離れになった時にはケータイが欲しいと思ったけど、それだけのこと。就職活動で即座に行動を取ったりする時や万一の時に備えて私もケータイを持ってるけど、電車に乗ってからメールで友達とやり取りする事に、それほどの緊急性でもあるんだろうか?

以前聞いた話だが、ケータイに電話が掛かってこないと、友達とか知り合いと言った、自分を取り巻くコミュニティから自分だけが疎外されていると感じる人が増えているらしい。「ケータイで話せない」ことで自分だけ疎外され孤立する事への恐怖感、常にコミュニティの中の人間と「ケータイで話す」ことでコミュニティの一員と認められていると感じる安心感、ケータイの爆発的な普及の大きな要因の一つはそういった心理的なものによるそうだ。まあ、ケータイの虜になっている人の多くが・・・という、その調査報告はちょっと短絡的すぎるんじゃないか?って気もしないでもないけど、電車に乗ってすぐに夢中でメールを打ってる若者を見てると、納得できる調査結果ではある。

先日利用したJR東海の普通電車の先頭車輛の乗客を見てたら、全乗客30人ぐらいのうち、1/3ぐらいが若者、そのうちほとんどの若者(1−2人の例外を除く)が電車発車後に一斉にケータイの虜になっていた。ケータイの虜の中には、一部、年配者の姿も。

ケータイを全日本国民から取り上げてしまう日なんてモノができたら暴動が起こるかもしれないね。ちなみに、私の元ルームメートの母国である韓国では、ケータイが低年齢層にまで普及しすぎて通話料が払えなくなる子供・若者が続出したために、政府が対策を取った。子供達では買えないぐらいの値段(平均で数万円ほど)にケータイの本体価格を設定して、日本みたいな「蛇口作戦」を撲滅したそうだ。効果の程は分からないけど、面白いと思う。