留学 A − 「寄付」ということ
Jan 10, 2000
関空から10時間弱かけてロサンゼルスに到着した、留学生活初めての日のこと。入国審査を受けてマイアミへの移動のため国内線出発ロビーをぶらぶらしていたら、ある年配の女性に声をかけられた。英語が少しでも分かるなら話を聞いて欲しいと言う。彼女は自分のIDカードとネームプレートを見せて所属を名乗る。それは国際的にも有名な某人権擁護団体のものであった。日本の署名活動ぐらいのつもりで気軽に話を聞いていたところ、話し終えた後でいくらか寄付して欲しいと言う。寄付とは言え、額が結構大きい。このぐらいは出して欲しいと言う目安の一覧表を見ると最低ラインが50ドルだ。到着したばかりの私にそれほどの余裕があるはずがない。20ドルで手を打ってもらうことにした。でも、彼女は食い下がる。何とか50ドル欲しいと。そこまで食い下がらなくても・・・といったカンジ。さらに、言い方が少々気になる。「子供のために・・・」を連発するのだ。いくら子供のためとはいえ、寄付は強制するものではないでしょう?こちらも学生だから私にできることはこれが精一杯だと言い残して20ドル紙幣を彼女に握らせてその場を去る。
何か釈然としない思いが残る。寄付とはそんなものなのか?何で額まで指定されて払えないとイヤな顔をされるのか?何だか納得がいかない。何だ?これはもしかしたらあの話に聞くところによる「日本人用特別レート」ってヤツか?日本人は金持ちだって一方的に誤解されてるみたいだし・・・
マイアミへの出発便となる飛行機への搭乗が始まる少し前の出来事だった。既に乗客は搭乗手続を済ませて機内の準備が整うのを待つばかりだ。出発が遅れるそうだが、観光地に向かうリゾート路線の特徴なのか、皆時間を気にする様子もない。そこへ一人の女性がゆっくり歩いて来た。待合室の椅子に腰掛けて待つ乗客一人一人に対して無言のまま一枚のカードを見せる。それを見る人も見ない人もいる。やがて彼女は私の前へ。見ると、そのカードには絵が書いてある。手話(?)だったと思う。いきなり見せられてもどう対応したら良いのか分からず、また先程の怒りがまだ収まっていなかったので、とりあえず眠そうな眼をして関心がないという素振りをしてみる。すると彼女は隣の乗客の前へ。隣に座っていたのは老夫婦だったが、ご主人はそのカードを見ると無言でドル紙幣を差し出しカードを受け取った。彼女もそれを無言で受け取り一礼した後、別の乗客の前へ。どうやら彼女は寄付を求めていたようだ。隣のご主人はごく当たり前のように差し出した。私はなんだか居づらくなってその場を立ち去ってしまった。
寄付というものがどういうものなのか、日本人の概念とアメリカ人の概念は異なるものである。私が目にした光景はあくまで日常の一部分にすぎず、それを見たからこうだと言いきれるものではないのだが、アメリカ人の方が日本人よりも「違い」を受け入れ救済する土壌があるのではないのか、そういう形の救済が当たり前のものとして社会に根付いているのではないか。そう考えると先程の経験も納得がいく。こういう考え方はアメリカの方が日本よりも進んでいるという話は以前から耳にしていたが、実際にこういう場面に出くわしてしまうと本当にその話が実感できる。勿論、アメリカ人だからと言って全員が気軽に応じるわけではない。金銭的にゆとりがある人でないと、善意だけではなかなかできることではない。
「寄付」というものに対する見方は人それぞれ違うものであって当然だと思うから、寄付をするのが正しくてしないのが間違っていると考えるのは早計で短絡的すぎるが、そういうものに対する心構えというもの自体が日本人とはずいぶん違う。私はあの時、隣のご主人に対して気恥ずかしくなったのではなく、自分自身に対してそう感じたのではないか。そんなことを考えてながら4時間ほど飛行機に揺られて行った。